勤務開始から約1ヶ月

研修が始まって約1ヶ月が経った記録。

 


研修1週目から3週目。

きつい。

周りの情報が流れ込んできて簡単に集中や注意力が途切れケアレスミスを連発する。

終始そわそわと意味のない動きを繰り返す。

ただしこれはADHD云々というよりは「久しぶりに働く」という緊張からきているものかと思われるのでなんとも。

 


医師へ「このままでは研修についていけない」と相談したところストラテラ40mgが2錠から3錠になった。

※他に使用している薬の量は変わらず。

ツイキャスで、少しこの話にふれた時に「世の中は不平等だね」とコメントがついて、初めて「自分は薬を使わないと働けない」ことに気がついた。

 


研修4週目。ストラテラの量を増やして1週目。

特に変化なし。

相変わらず集中や注意を欠く。

研修5週目。ストラテラの量を増やして2週目。

同上。

研修6週目。ストラテラの量を増やして3週間目。

薬の量や障害の関係なのか判断はつかないが、若干なんだか気持ちがふわふわする日が続き、突然「点と点が繋がって線になる」感覚を掴み、久しぶりに読者になっているブログやノートの巡回をし、たまっているアレやコレを処理して、いまこうして記録をつけている。

しかもこれは音楽を流しながらやっている。

音がする中では、文書を読んだり書いたりすることがしにくいので、かなり画期的な変化だ。

※ただの躁状態だったらイヤだな。

 


ストラテラは、全てを解決してくれる魔法の粉ではないのはわかっているけれど、とりあえず今の私の生活を良くしてくれていることは間違いないと思っている。

 


研修2ヶ月目も頑張っていきます。

生活保護

退職してから生活保護の約2ヶ月間の記録をつける。


5月頭になにもかもが限界になって、区役所の生活保護課の相談窓口で相談したところ、その場で申請となり担当も決まる。申請についての詳細は詳しく書かれているサイトやブログが沢山あるので省略する。

申請の書類は特に問題なく進んだが、地区の民生委員との面談や家庭訪問、これが厳しかった。知らない人の家に行ったり、知らない人が家に来たり、なんだかまあ色々と大変だった。何か叱られたらどうしようなど心配したが「タバコはやめなさいよ」程度で済んだので良かった。ですよね。タバコは良くないですよね。


汚部屋の掃除や体のメンテナンス、就職先を探したりとなんだかんだやっていたら、あっという間に2ヶ月が終わった。

汚部屋の掃除は、保護受給者は無料で粗大ゴミの回収をしてくれるとのことで、ありがたく利用させてもらった。同じく体のメンテナンスも医療費無料を利用させてもらった。職は今までの経験をかってくれる企業が雇ってくれたので本当に良かった。


そしていま保護課の担当より「障害者手帳を取得するために動いてみては」と提案を受けている。

障害者手帳を取得すると、ヘルパの無料サービスを依頼できるらしく、これを利用して部屋の清掃や清潔の維持をしてはどうかとのこと。ありがたいのと同時に他人から見るとそこまでできていないのかと少し落ち込んでしまうが、このブログだって文章を練っては気が散ってを繰り返し、相当な時間がかかっている。片付けに関しては言わずもがな。あっちやってこっちやって結局ぐちゃぐちゃでどうしようもない。この汚部屋というかゴミ溜めで「自分はできていないんだ」と悲しんでいるよりもプロの力を借りたほうがずっとマシなので障害者手帳の取得に向けて動いていこうと思う。

生活保護で2ヶ月休めたから劣等感を「障害からくる苦労もあるよ」と整理できはじめたのだと思う。次は「障害を持ちながら生活していく方法」を考えたい。


明日から新しい職場での研修が始まる。うまくできるかどうかばかり考えがちなので「まずはその場にいることが大切」という医師の言葉を忘れないようにしたい。

退職

人に職業を尋ねられて「SNSや動画投稿サイトで規約違反をした利用者にペナルティ付与するお仕事」と説明すると「そんな仕事があるんですか」と驚かれる。

そうです。

そんなお仕事があるんです。

通報フォームの送信先には人がいるんです。

そして「利用規約」が理解できず1年半で辞めました。

 


例えば「何月何日の何時に何処で人を殺します」なんて犯罪予告は確実にアウトだというのはわかるが、健全と見せかけて何やらよろしくないものを混ぜてくるような投稿に違和感を覚えることができず、見逃してしまうことが多々あった。

※他にも色々とあるのだが詳細は書けない。

 


また、これは誰も悪くない、私自身の課題だが。

世の中のすべての女性が母やいじめをしてきた同級生とダブって見えてどうにもならない。

※つらくなってきたので詳細は書かない。

 


いつも「できない」「また失敗する」と怯えながら働いていたら、パニック障害の発作がでるようになって、家から出られなくなった。

今回は比較的短い期間で復活できたのが救いだ。

 


せっかくだから何か誰かのためになることを書きたいが、回復方法も人それぞれ、行政の支援も色々な人が解説しているし。

特に何もないな。

 


私はちょっと失敗しやすくて緊張しいで怖がりなだけ。

いつまでも「殴られる」と怯えないで「もし殴ったらやり返してやるからな」と思えるようになりたいので今から心がけることにする。

ノーブレーキ上等で尖っていこう。

職探しやっていきます。

2週間の欠勤

前回「欠勤が1週間も続いてしまったが明日からは働くぞ」と更新してから更に1週間の欠勤。

合計2週間の欠勤。

なにがどうしてこうなったのかわからない。

この期間なにをしていたのかもわからない。

ただ「どうして普通に働くことができないのか」と泣いてばかりいた。


チャットで元パートナに発達障害のことや欠勤していることを話すと「働けないなら金持ちの後妻になれば良い」というアドバイスがあり、幼い頃に母から「お前は何もできないんだからたちんぼで稼いでこい」と言われたことを思い出してしまい、なんとも言えない気持ちになる。

1番近くでコミュニケーションを交わしていた人々から体を売れと思われているというのは単純にせつない。

だがしかし売春を勧めてくる人ばかりでもない。

カメラや無線の趣味を教えてくれた先輩も、いつでも応援して支えになってくれる元職場の上司もいて、彼らと話すと「学びたい」という気持ちになれる。


目下の課題は体調を整えて出勤すること。

悲しくなるのだから元パートナや母との連絡は避けること。

そしてまた学びたいことを学ぶこと。

なんとかなるでしょ。

発達障害の診断がついた日。

WAIS3の結果が返ってきた。

詳細は省くが、ほぼ全ての項目が平均の下で、あるひとつは特に低く知的障害との境界線だった。

医師からは「主病はADHDASDの傾向あり」という診断結果を告げられた。

自分の大切な話であるのはわかっているが、よく支援なしでグレることもなく生きてきたと、笑ってしまった。

(診察中に笑い出してしまうことがよくあり、そのたび医師は困った顔をするので、申し訳ないと思っている。)


チャットで友人に「発達障害だってさ」と送ると「気にしないでできることをやっていこう」と返ってきた。

わかるよ、気にしないで、できることをやる。

IQでは私がどんな撮影をするのかはわからない。

良い画像を作れるかどうかは発達障害は関係ない。

診断が出たところで明日も明後日も変わらない。

そう思っていたはずなのに、だんだんと不安に飲み込まれ、動くことができなくなった。

どうして親は気がつかなかったんだろう。

どうして暴力をふるってきたんだろう。

どうして性的な行為をしたんだろう。


過去が突然思い出されて、怒ったり泣いたりという、厄介な癖も発達障害の特徴のひとつらしい。

いまは薬を使ってなんとかなっているが、それでもどうしてもバランスを崩すときはあり、耐え難きを耐えしのび難きをしのびの精神で波がしずまるのを待つ。

吐いて食べて寝込んでをただ繰り返す。


1週間が過ぎ、通院し、薬が増え。

なんとか持ち直しはじめ「暇だ」と感じられるまでにはなった。

とりあえず、26日は風呂の日なので、温泉に行ってきた。

明日からまた出勤します。


いってきます。

いのちの電話にお電話してみた話。

毎月10日はいのちの電話が無料の日なのでかけてみた。

どうせ繋がらないだろうと思っていたら1回目で繋がってしまい「ごめんなさい、まさか繋がるとは思っていなかったので、なにも用意してなくて」と謝るはめに。

対応してくださった方いわく「電話をかけてこられた方が話したいことを聴くのがいのちの電話」ということなので、発達障害の傾向があり検査を控えていること、今どうやらうつの波にのまれていることなどを聞いてもらう。

そのひとつひとつにスタッフの方は「そうなんだ」と相槌をうってくださる。

「これを話して楽になるのか」と考えつつ話を進める。

児童生徒のころ祖父母と両親から暴力があったこと。

父親からは性的暴力があったこと。

職場では母親と女性上司がダブって見えて殴られるのではと常に怯えて仕事にならないこと。

病院では「こんなこともできるようになった」とアピールしてしまいがちなこと。

障害や薬と一生の付き合いであることが受け止められていないこと。

そのひとつひとつに「ああ、そういうことがあるんですね、そうですか」と相槌をうってくださる。

だんだんと「もうこれはしめたほうが良い」と感じはじめた頃に、スタッフから「なんでも打ち明けられる友達はいないのですか」と、突然の質問をされた。

「友達はいないです」

「そうですか、友達、できると良いですね」

対応に礼を伝えて電話を切った。

結局「いま外に出たら何するかわからないくらい死にたいです」は言えなかった。

友達できると良いですね。